カードゲームのデッキについて。

何故こんなことを書こうと思ったのか。
簡単である。
 
カードゲームを作る立場になったからだ。
と言ってもまだまだ先のことでさらには同人モノではあるが。
 
世界各国のTCGプレイヤーが一生相容れない議題。
「ガチデッキとファンデッキの区別とそれに対する意見」から語っていこうと思う。
私はコピーデッキは余り好きではない。
というのも、デッキには個性と言うものがあると信じているからだ。
厨臭い言い方に直せば「作り手の魂が宿る」とでも言えばいいだろうか。
 
例えば、世界大会優勝者のデッキを皆が使いだした。
中身を空ければ40枚中38枚が全員世界大会優勝者デッキと同じ内容だった。
この2枚が私の言いたい「魂」である。厨臭い。
厨臭い内容の説明はこれくらいにしておく。
 
ではなぜコピーデッキは存在するのか。
私見では「強いから」である。
カードゲームを突き詰めればただのじゃんけんみたいなものだと考えている。
チョキにあいこが取れるパーがあるとすれば誰もがパーを選ぶのではないだろうか。
そういう「強いデッキ」が存在し、皆がそれを選びその先駆者を模倣する。
故にガチデッキと呼ばれる存在が誕生する。
 
では先駆者はそれをガチデッキと知って作ったのか?
ゲーム性を失うほどのカードを軸に据えられていない限りNOだと考えている。
自らが考え、最高をより効率よく、より長く保つ為に試行錯誤した結果なのだ。
テンプレートは誰かが作らなければならないということだ。
 
逆にファンデッキは何故生まれるのか。
「このカードを使って勝ちたいから。」ではないだろうか。
効率は下がり、持続性は落ちる。それは「そのコンセプト」だからである。
効率や持続性を上げる手段はカードの枚数分あり、それを模索するのがデッキメイカーの意地だと思っている。
ファンデッキは言わば未完成品の推敲段階なのだろう。
 
新しく発売されたカードゲームを始めた時、皆そういう所から始まるはずだ。
強いデッキが誰かの手によって出来たからと言ってそれに甘んじて対戦することは、カードゲームの遊びの一部分を欠いてしまってるのではないか。そう感じる。
 
話の結論としてはファンデッキはガチデッキを作る為のひと過程だ。
と言いたい。
それを区別するのはもはや決め付けに近いのでは。
故にプレイヤー同士が相容れない理由にもなっているのだろう。
 
DAWNでは様々なデッキタイプが環境メタに存在するようなカードゲームにしたい。
プレイヤーの独自性、デッキ創作、見たこと無いギミックを見る感動も楽しんでもらいたいのだ。
 
長々と書いた挙句、最後は宣伝になってしまった。
以上、眠い頭で書いた厨臭い自己満足文章でした。